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うなぎ料理のルーツ

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うなぎは、いつから私たち人間に食べられていたと思いますか?何と、今から約5000年前の貝塚からうなぎの骨と見られる化石が発見されており、縄文時代にはうなぎを食べる習慣があったと考えられます。縄文人といえども、ずいぶんとグルメな食生活を送っていたと言えるのではないでしょうか。なお、文献に初めてうなぎに関する記述が見られたのは、万葉集です。大伴家持が、夏痩せした吉田連老にうなぎを食べるよう勧めた「石麻呂に 吾もの申す夏痩せに よしといふものぞ むなぎ(=うなぎ)とり召せ」という歌が集録されています。

平安時代、うなぎは貴族によって食されており、蒸したものを塩味で食べるのが主流だったようです。歌にもある通り、この時代「うなぎ」は「むなぎ」と呼ばれていましたが、胸が黄色いからという説と、うなぎの形状が棟木に似ていたためという説があります。「うなぎ」と呼ばれるようになってきたのは、12世紀頃からです。

一方、うなぎの蒲焼が初めて文献に記されたのは、応永6年(1399年)の鈴鹿家日記です。これによると、うなぎを筒切りにし、串に刺して焼いたものが蒲鉾に似ているところから「蒲焼」と呼ばれるようになったとされています。しかし、蒲焼という名前の由来には上記の他にも「芳しい(かんばしい)」が「かんばや」「かばや」「かばやき」になったという説、あるいはうなぎの焼き上がった色が樺の色に似ているためという説など様々あり、どれが正しいのか一概に判断できないのが実情です。

この時代以降、室町時代の頃までは、うなぎ料理と言えば上記のようなものの他、酢味噌や辛子味噌でも食べられていました。現代のように、うなぎの蒲焼といえば「開いてタレをつけたもの」を意味するようになったのは、18世紀に入ってからのことです。ところで、うなぎの蒲焼をご飯の上に乗せた「うな丼」は、文化年間(1804~1817)に発祥したと言われていますが、当時のうな丼は、ただ単にご飯の上に蒲焼が乗っているだけのものでした。冷めにくいよう蓋をしたのは明治時代に入ってからのこと、うな重が登場したのは昭和時代に入ってからのことだそうです。



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